米騒動発祥の地

 

<住所>
魚津市本町1-2-33
<交通アクセス情報>
魚津ICより10分
滑川ICより25分
JR魚津駅より10分

駐車場 あり
<市民バス>
県総合庁舎前(市内東回り)
魚津町は江戸時代から越中東部の政治・経済の中心地でした。
明治時代の近代化とともに、貧冨の格差増大や都市の人口増による米不足、大商人による米価の吊り上げが起こっていました。大正年間には、15,000人の人口を擁しており、北海道や樺太への米の積み出しで栄えた大町海岸には米倉庫が立ち並んでいました。
大正7年7月23日、北海道への米の輸送船・伊吹丸が魚津町に寄港した時、おりからの米価高騰に苦しんでいた漁師の主婦ら数十人が、米の積み出しを行っていた大町海岸の十二銀行の米倉庫前に集まり、「米の値段が高くなるのは、県外に米を持っていくから魚津に米が無くなるのだ!」と、米の積み出しを止めるように要求し、このため米の搬出は中止されました。この事件が新聞に報じられ、米騒動は近隣の村や町、1道3府32県に及ぶ全国的な米騒動に発展し、その後、内閣を総辞職に追い込む事態に発展しました。
米騒動が起こった現場に、当時の建物が現存するケースは、旧十二銀行米倉の他にはありません。魚津では、この地を米騒動発祥の地として顕彰しています。
※ 通常米倉を見るには手続きが必要です(教育委員会迄)。